年末年始、義実家で過ごす「何もしない幸せ」

心のつぶやき

年始の挨拶へ

年末年始の恒例行事として、義実家へ年始の挨拶に行った。
一泊二日の小さな帰省である。

気づけば、義実家へおうかがいするようになってもう十数年が経つ。
結婚したばかりの頃は、少し緊張しながら向かっていた道も、今ではすっかり慣れたものだ。
時間の流れは本当に早い。


変わらない風景と、変わっていく時間

義両親も、当然ながら歳を重ねている。
大きく何かが変わったわけではないけれど、ふとした瞬間に「時間」を感じる。

それでも、年始の食卓は昔から変わらない。
義母が作ってくれるお節料理を囲み、夜はカニ鍋。
毎年毎年、お腹がはちきれそうになるまで食べている。
この光景を見ると、「ああ、今年も来たな」と実感する。


体は正直である

ただ、自分自身の体は確実に変わってきた。
十年前、二十代だった頃とは明らかに違う。
代謝は落ち、同じ量を食べているはずなのに、肉のつき方がまるで違う。

若い頃は、何も考えずに食べてもすぐ戻った。
今はそうはいかない。
頭ではわかっている。
それでも、目の前に並ぶ料理を前にすると、理屈はどこかへ消えていく。


ひたすら食べて、飲んで、過ごす

テレビを見て、ゲームをして、美味しいご飯をたくさん食べる。
おやつをつまみ、お酒を飲む。
特別なことは何もしていないのに、気づけばずっと「食べて、飲んでいる」。

なんて幸せな時間なのだろう。
健康に良くないとわかっていても、何も気にせず、好きなだけ食べて飲んで、昼寝をする。
そんな贅沢が許されるのが、年末年始なのかもしれない。


「仕事に行きたくない」という正直な気持ち

正直に言えば、このまま仕事に行きたくないと思った。
現実に戻りたくない。
その気持ちを否定するつもりはない。

それだけ、この時間が心地よかったということなのだと思う。
何も生産しなくていい。
役割を果たさなくてもいい。
ただそこにいて、食べて、笑っていればいい時間。


十年後を想像しながら

ふと、あと十年後にはどんな年末年始を迎えているのだろうかと考えた。
親戚や家族と、また同じように集まっているのだろうか。
今と同じ顔ぶれで、同じ料理を囲んでいるのだろうか。

当たり前のように続いているこの時間も、実はとても尊いものなのかもしれない。
そう思いながら、暖かい部屋でまどろみ、静かに目を閉じた。

何もしないけれど、満たされている。
そんな年末年始のひとときであった。

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