これまでの私は、心の奥で感じていた違和感に、そっと蓋をして生きてきたのかもしれない。
「なんだか不当に扱われている気がする」「これっておかしくない?」
そんな小さな引っかかりがあっても、深く考えないようにしてきた。
我慢すること。波風を立てないこと。
それが大人として、母として、社会人として正しい振る舞いだと思っていた。
気づけば「耐えること」が癖になり、違和感すら感じにくくなっていたのだと思う。
それでも、やっぱりおかしいものはおかしい
でも最近、どうしても無視できなくなった。
どれだけ自分に言い聞かせても、やっぱりおかしいものはおかしい。
どうして、いつも私が我慢する立場なのだろう。
どうして、気を遣う側、飲み込む側、折れる側に回るのが当たり前になっているのだろう。
冷静に考えてみると、不自然な関係性の中に長く身を置いてきた気がする。
それは誰か一人が悪いというより、歪んだバランスが放置されたまま続いてきた結果なのかもしれない。
私だって、大切にされたい
ふと立ち止まったとき、心の奥からはっきりした声が聞こえた。
「私だって、ちゃんと愛されたい」
「人として尊重されたい」
それは、わがままでも贅沢でもない。
人として、当たり前に持っていていい感情だ。
知らず知らずのうちに、歪んだ人間関係の中に置かれている状況が増えていたのだと思う。
それに気づけなかったのは、私が鈍かったからではない。
ただ必死に、毎日を回していただけなのだ。
言葉にできるようになった今
最近は、感じたことを少しずつ言語化できるようになってきた。
ブログに書いたり、考えを整理したりする中で、前よりも客観的に自分を見られる瞬間が増えている。
「あ、これはおかしい」
「これは私の問題じゃない」
そう区別できるだけでも、心は少し楽になる。
感情に飲み込まれる時間が、確実に減ってきているのを感じる。
今はまだ、決断のときじゃない
三十代の今、ここからまた大きく環境を変えるのか。
それとも、心の中で一線を引き、静かに備えるのか。
答えは、まだ出さなくていい。
むしろ、今は大きな決断をしないほうがいい気がしている。
焦らなくていい。
揺れていていい。
「今じゃない」と分かっていることも、大切な判断だ。
いまはただ、自分の感覚を取り戻す時期。
蓋をしてきた気持ちを、ひとつずつ確かめる時間。
その先に、きっと私が心地よく生きられる道があると信じている。

